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読書・書評―会員お薦めの一冊「薩摩スチューデント西へ」林望 光文社刊


長柄英男会員

 2007年7月28日米カルフォルニア州サンタ・ローザ市にカルフォルニアのワイン王といわれた長沢鼎の功績をたたえ、「ナガサワ・コミュニティー・パーク」がオープンしたことが南日本新聞に報道されました。このことは、例会でも取り上げられ、さらに鹿児島西プロバスクラブ会員の門田明鹿児島県立短期大学名誉教授が急遽出席されたこともサンタ・ローザ交換学生の例会出席のおり、紹介されました。
 長沢鼎は幕末の動乱期である1865年に、薩摩藩が英国ロンドンへ送り込んだ留学生15人の中の一人でした。そして、最も若く13歳で、ロンドン、スコットランド、米ニューヨーク州を経てサンタ・ローザに移り住みブドウの栽培とワイン醸造に専念し、最も成功した在米日本人として1934年82歳で生涯を閉じました。
 林望の著した「薩摩スチューデント西へ」は、慶応元年(1865年)、幕末の動乱期、薩摩藩が極秘裏に英国に送り込んだ俊英15人と秘密使節4人の留学行を日誌風に綴っている。書き出しは出航2日前の慶応元年3月19日(陽暦4月4日)で、最終章は8月19日土曜日で終わっている。膨大な資料をもとに、史実に忠実に再現されており、学者の手になる長編時代小説として読み応えを感じました。
 留学生の志や、航海中、さらにロンドンに渡ってからの勉学の様子などは、現在の受験勉強などとは比較にならないほどの熱意が伝わってきます。香港、シンガポール、ボンベイを経てスエズへ到着し、列車でアレクサンドリアへ。地中海を航海してサウサンプトンへ着いたのは陽暦6月21日早朝で、その日のうちにロンドンのホテルへ投宿しました。さらに2ヶ月の間イギリスでの見聞と英語の勉学に励む様子が詳細に述べられています。
 生麦事件と薩英戦争のイギリスとの抗争が1962年から1963年にかけてであるから、その2年後に留学生の派遣が行われたわけで、敵国だった国に留学生を送り込む柔軟性には学ぶべき点が多く、まさに「君子豹変す」と思われます。香港からサウサンプトンまでの旅費は一人100ポンド、270両であったという。現在の貨幣価値では2700万円相当と考えられている。生麦事件の賠償金は10万ポンドであったことを考え合わせても、島津藩の教育にかける情熱と財力には驚きと同時に敬意を感じます。
 このイギリス留学一行に同行した五代友厚らの使節団の重要な役割は、武器と艦船の買い付けであって、後にこれらの装備が戊辰戦争を勝利に導いたであろうことは想像できます。また帰国後の留学生の中には後の外務卿森有礼、外交畑で功績の多い鮫島尚信、サッポロビールを作った村橋久成、東京大学の前身である東京開成学校の初代校長となった畠山義成などがいることは、鹿児島人の教養としてご存知のことと思います。
 最後に、多くの会話が薩摩語(鹿児島弁)で書かれており、林望氏が東京生まれであることを考えれば、鮫島信一会員のような鹿児島弁に通暁した師範がいなくてはならないと考えます。
 とにかく、いっと読んで見やんせ。
 

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