大正以後の山形屋
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| 山形屋1号館壁面に掲げられているレリーフは中村晋也作のもので、瓦屋根の呉服店だった頃の様子が彫られています。
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大正5年10月6日、山形屋は関西以西随一と賞賛された本県初の本格的な鉄骨鉄筋コンクリートの社屋を完成させます。
総工費48万円、2年8か月の工期と約9万8000人の労力を費やし竣工した社屋はモダンルネッサンス式で、この設計を引き受けたのは鹿児島出身で東京に開所していた建築事務所の技師・斉藤久孝でした。斉藤がこの設計に着手したのが明治45年の春といわれていますから、近代様式の建造物の建築は相当大掛かりな構想だったに違いありません。
完成した社屋を一目見ようと、山形屋見物に訪れる人々で界隈は賑わい、英国オーチス社に発注した最新式のエレベーターは、乗るために順番待ちの長い列ができるほどの人気ぶりだったとか。導入された水洗トイレも話題になり、勢いよく便器に流れ出る水で、手まで洗ってしまう人もいたそうです。
大正6年6月には『株式会社 山形屋呉服店』を設立し、既に設立の定款には「デパートメントストアを営む」という一文が明記されており、デパートとして近代化の構想を視野に入れていたことがうかがえます。
大正14年には、デパート開店10周年記念として『七草会』が発足しました。当時の掛け金は毎月3円で、1年後の満期時にはお礼に歌舞伎などの観劇会へ招待するという試みが功を奏し、本物の芝居をぜひ観たいと七草会へ入会する人は後を絶たず、発足2年で加入数は約3000口という好成績をもたらしました。
南林寺町に開かれた鹿児島随一の劇場・南座では江戸歌舞伎で知られる河原崎権十郎一座の舞台を皮切りに、当時の花形スター一座によって様々な演目が上演され各回劇場満杯の大盛況となった観劇会は、昭和54年まで開催されました。観劇会が長きにわたって続いたのは、七草会に入会し、満期時には買い物や本物の歌舞伎を楽しむ、というのが当時の県民のステータスだったからかもしれません。
南国鹿児島にありながら、『山形屋』の社名をもつ老舗の百貨店。重豪の開化政策と出羽山形の紅花商人・源衛門の運命的な「『縁(えにし)』」によって、2世紀半にわたる歴史と伝統の中で鹿児島の県民の『ふるさとのデパート』として軌跡を織り紡いできました。
山形屋に足を運んだ際にはぜひ、歴史的名所として違う視野で館内を巡ってご覧になってみてください。きっと、他にはないデパートの魅力や面白さを感じていただけることでしょう。
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山形屋文化ホールロビーに展示されている縦3.8m・横9mの油絵。東郷青児作『かごしま』
昭和28年11月、山形屋劇場完成の折に、故・岩元修一氏が制作依頼し、昭和42年まで同作品が劇場の緞帳として飾られていました。 |
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入口もサインもレトロな『山形屋美容室』昭和7年の新館落成時のオープン以来、現在も営業しています |
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山形屋名物といえば「焼きそば」パリパリの麺に三杯酢をかけて食べるのが山形屋メニュー。中華料理店コーナーで出されていた頃、餃子用の三杯酢を客が焼きそばにかけて食べたら評判となったのだとか。日によっては1000食以上出ることもある定番人気メニュー。 |
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昭和7年の新刊増設の際に設けられた演舞場。1階席は454席、階上席は189席の大劇場だったそうです。 資料提供・「山形屋247年」 |
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