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海江田嗣人の創作童話集 第8回 


文・写真 海江田嗣人会員

女性宇宙飛行士

「おばちゃん、朝ごはん良い?」と、私は遠慮がちに食卓へ向かうのです。
 転勤族の父は海外勤務を命じられ母と供に渡航、高校生の私は一人残されて我が家の対岸にある桜島で、しばらく伯母さんの家族と暮らすことになりました。
 伯母の家は目の前が海で、潮の香りに包まれて波の音が心地よいのです。
 ザブーン、ザブーンと子守唄のようです。窓際のベッドから夜空をながめる私は幸せです。だって、星座がとっても鮮明に見え、夜は星がきれいでプラネタリウムみたいです。おお犬座のシリウスが一段と輝きます。
 私が小学一年の頃に、向井千秋さんが日本人女性初の宇宙飛行士としてコロンビア号で宇宙に行った時、私も宇宙に行きたいなあと思ったのです。
 それからの私は宇宙飛行士になるために勉強を始め、計画をたてました。
 
 今夜も遅くまで勉強していた私は対岸の道子に「オヤスミ」の合図である光の点滅信号を4回、懐中電灯で送った。しかし返事が来ないので、傍らの双眼鏡で覗いたが確認出来ない。今日は視界が悪いのかと思い、私はアマチュア無線機のKEY(キィー電鍵)を打ち「おやすみ」(OYASUMI)と英文モールス信号を発したのです。すると光の4回点滅信号が来た「おやすみ」と、「何だ、寝ていたんだ」と更にキィーを打つと道子から「寝てた」「ゴメンおやすみ」と、今度は電信で来た。同級生の二人は無線クラブ活動で電信級アマチュア無線技士の資格を取り、お互い懐中電灯と双眼鏡と、そして電信電波のモールス信号で話し、勉強の退屈を過ごしています。信号が有るか、無いかのデジタル通信方式である古代人の通信、狼煙(のろし)を現代化したモールス信号交互通信に私達は結構はまっています。ケイタイ電話?そんなのダサいに決まっている。
 ある夜突然霧島方向から4回の光点滅信号が来た。だれだ?二人の間に割り込んだやつがいると私は不安になり道子に伝えた。誰かのいたずらだろうと、この日は気に止めないで置こうと話したのだけど、翌日同じ時間に強力な光信号が来た、それも英文モールス信号で「こんばんは」と、私は、あんな遠くから光信号を送るには強力な電力と光源にパラボラ大型反射板を使うか自動車のヘッドライトしかない、こいつ私と同じハム(アマチュア無線)かと思った。

 私はアマチュア無線用略語で「QRA」(名前は?)と懐中電灯の光点滅信号を送ると「たなか」と返事が来たのです「やはりハムか」。それなら「QTH?」(住まいは?)と続けたら「そこからコト座のベガが見えますか」「そのベガの下に住んでいます」と返事が来た。「高千穂だ」、星の好きな私はうれしくなり、こいつ、ロマンチックなやつだなと思いました。でも好奇心で返信したけれど少し不安になり私と道子は無視することにした。二人の会話に他人が割り込むのを不快に思うのです。そのせいか霧島からの光信号は来なくなり道子と私は何時もの様に夜遅くまで勉強していたのです。
 来年は大学受験だ。年も押し迫り街ではジングルベルの音楽が聞こえだした。今日はクリスマスイブ、私には縁が無いなあ・・センチな気分で夜空を眺めていたらピカピカと霧島から光信号が来た。「メリークリスマス」、私はドキッとしたがうれしかった。「ありがとう」と続け「田中さんですか?」急いで返信すると「そうです田中鉄郎です」「電信OKですか」と彼が提案。私は急いで電信に切り替えてモールス信号で交信を始めた、この時、田中さんが男性であることを初めて知った。私は少し胸が弾んだ。どんなやつだろう、「学生ですか?」。「いや社会人です」。社会人との返事に私は戸惑ったが、続けて電信を送った。「会社ですか?」。「うーん そんなところだけど今入院中です」。「え、病気ですか」と、私は悲しくなり心配と不安が交差した。
 田中さんは交通事故が原因で霧島の病院に入院していて今日は国分市(現在の霧島市)の自宅に一時帰宅していること、そして彼は生後まもなく小児麻痺を患い、それからは車椅子との生活のようだ。しかし大学を卒業後、JAXA(宇宙航空研究開発機構)と関係が深い、宇宙開発関係のIT企業に在職、年末には退院して東京の本社に帰ると話した。「いつかグランド(陸対面)で会おう」と言った田中さんの言葉にうれしくなり、星の好きな田中さんに共通の仲間意識を持つのでした。無線のお空で田中さんとの星物語に夢中になり「ぎょしゃ座のカペラが僕の上だ」。「私はこいぬ座のブロキオンの下よ」「見てみて隣にふたご座も見えるよ」。冬の大三角シリウス、プロキオン、ペテルギウスだ。私はうお座の三月生れ、彼はふたご座の五月生れ、お空で星の話をしました。

 無線機により長時間のモールス信号で話した私達の会話に道子もワッチ(傍受)している筈だ、案の定道子から光の点滅4回の合図「オヤスミ」と気を利かしてくれた。悪いなと思い私も光点滅4回の合図を送るのでした。私は田中さんにもオヤスミを送ると。乙女座のスピカが輝く明け方まで机に向った。
 波の彼方まで一直線の朝日に、まだ起きてこない私を心配した伯母さんが「イッチャン学校に遅れるわよ」と母のように愛称で呼び起こしてくれました。やばい、急いでカレンダー横の女性宇宙飛行士、向井千秋さんと山崎直子さんの写真にVサインを示し、自転車でフェリー乗り場へと急いだのです。
 今日はクリスマスで日曜日、「行くか?」そう決めた私はクリスマスケーキを買うと田中さんが入院中の霧島温泉病院にバスで訪問、いきなりの見舞いで驚かそうと思い田中さんの病室へ行った。丁度安静時間、看護士さんに案内され病室の椅子にそっと座ったのです。田中さんは何も知らずに昼寝中、「こいつ寝顔がかわいいな」私は頭でつぶやくと「クスッ」と笑った。なんとなく気配を感じた田中さんはパチッと目覚めた。「うわー びっくりしたー」「もしかして磯子さんですか」。こうして私はグランドで初めての出会いを果たすのです。
 
 それからは田中さんとのモールス信号の交信が回を重ねるごとに恋の電信にかわるのでした。「今日はオリオン座がきれいだね 三ツ星の光を磯子さんに」と、年の瀬に冬の星座オリオン座がひときわ輝きます。私は鉄郎さんとの出会いにより女性宇宙飛行士への夢が益々膨らみます。道子との交信は挨拶程度に少なくなったけれど健在です。明けて新年、いよいよ受験の日。受験勉強が実を結ぶ日です。鉄郎は国分の自宅でアマチュア無線機の前に待機、私からの電信を待ちます。そして遂にその時が来ました。「電報でーす」郵便局員の声が玄関に響く。伯母さんが「イッチャン電報よ」。玄関に走りこんだ私は「おばさんありがとう」と残し、自分の部屋に駆け込んだ、急いで電報を開封すると「サクラサク」の文字が、私は鉄郎に「合格」と、モールス信号のキィーを打った。
 伯母さんが合否を気にして「イッチャン だめだったの?」と、少し不機嫌に部屋のドアーをノックした。「ごめん 伯母さん 合格しました」。
 伯母さんはフーッと深呼吸すると「おめでとう よかったね」「今日はお赤飯だね」と祝福してくれたのです。
 
 それから大学の宇宙工学部を卒業した私は博士号を取り、女性宇宙飛行士を目指してやれる事は全て訓練し体験して健康維持管理も入念に行い、精神面では協調と忍耐を学びました。そして遂にJAXA(宇宙航空研究開発機構)の一員となったのです。JAXAとNASA(アメリカ航空宇宙局)はISS(国際宇宙ステーション)でアメリカと緊密な関係があり日本人宇宙飛行士2名の志願要請がありました。JAXAの要請により私は即座に宇宙飛行士の志願書をNASAに送りました。私は多くの志願者の中から選ばれNASAの日本人宇宙飛行士候補として新聞やテレビで紹介されNASAまで飛行訓練に行くことになりました。
 私はアメリカに渡り外国人候補者と供に、NASAで二年間のテスト訓練を受けたのです。そして訓練最後の日。いよいよ宇宙飛行士の決定が全世界に発表されます。私は落ち着いて発表を聞いていました、日本人一人目に続き、二人目の名前が呼ばれました。「二人目は、ミスター・・・」とアナウンス、私は動揺も無く静かに空を見つめるだけ、しかしその目には、止めども無く涙が溢れるのでした。発表があってしばらくたったころ私に電話をくれた鉄郎は「紙一重の差で選ばれなかっただけ、その差は一ミリもないよ」と慰めてくれました「そうだよねぇ、それ位のゆとりはあるよ」と私は元気に話すのです。「週明け日本に帰る」。アメリカにいる父母に会わず私は思い切ったのです。
 羽田空港のタラップを降りて到着ロビーに行くと銀色の車輪が走ってくる。
「鉄郎だ」その隣にはJAXAの職員が、私はゆっくりと歩み寄り二人と固い握手をしました「日本でもがんばるよ」と言うと、「すぐがんばってほしいよ、磯子」、「エッ 直ぐって?」。突然の言葉に理解出来ない私に鉄郎は「いろんな予定が早くなったんだ」と言うと、JAXAの職員が封筒を渡した。そして三人で空港のコーヒー店に入ると急いで封筒を開封したのです。そこには「マル秘機密防衛上直接書簡をお受け取り下さい。有川磯子殿、貴方を日本最初の有人宇宙船ロケットの船長に認定します。もし同意いただければ直ちに表記の番号に電話下さい」。「なんだ〜すげぇ〜」「いくらJAXAの人だからって冗談きついよ」。と私は同僚である職員と鉄郎を睨むのです。「チョッ、ちょっと待って 冗談じゃないよ、本当だよ」と鉄郎が言い、同僚は事情を話し出しました。「日本初の有人宇宙船打上げ計画が国際競争上前倒しになり予定より一年早く実行することになった。そこでNASAと相談した結果、二人の日本人候補者から一人だけ日本初の有人宇宙船ロケットの飛行士に、しかも女性を候補にしたいと決定、一年後に発射予定の有人宇宙船には飛行訓練が完了した有川さん、君しかいない、機密上いままで話せなかったことはゴメン、ISS(国際宇宙ステーション)まで飛んでくれ」。私は直ちに上司に電話した。何と幸せ、夢かと思いホッペタをつまんだ。やはり痛かった。こうして思いがけない展開で、私は日本初の有人宇宙船の船長になったのです。鉄郎から結婚を申し込まれた私はOKの返事を宇宙からするつもりです。やがて私を乗せた日本初の有人宇宙船ロケットが内之浦宇宙空間観測所から発射される時がやって来た。発射台周囲の山々に、拡声器のアナウンスがこだまする。報道陣が一斉にカメラを構える。「天候良し、風力微風、海上、上空警戒異常なし、カウントダウン開始」・・100、99、98、・・5、4、3、2、1。オールエンジン点火。ゴーゴーゴ―ゴーと地響きを立てて私を乗せた日本初の有人宇宙船ロケットが力強く空に打ち上げられた。報道席からは歓声と供に発光しながら上昇して行くロケットの打上げにカシャ、カシャ、パチパチとカメラやテレビの撮影が一斉に始まり有人宇宙船は軌跡を残し静かに紺碧の空を去ります。その発射を見守った鉄郎は感激と興奮のあまり「ゴーゴーGO!!」と叫びながら車椅子から乗り出して空に向かって立ち上がった。各局のテレビ中継が始まりアナウンサーが実況を放送します。日本初の有人宇宙船による宇宙飛行士誕生です。しかも船長は女性飛行士です。わたしはまだほぐれぬ緊張の中、眼下に日本列島を探していました。
 あっ宇宙船から信号があります、モールス信号のようです。ツーツーツー、ツー ト ツー{OK}と聞こえます。あっ有川宇宙飛行士から家族にメッセージがあります。一分間だけ許されている家族との通信に私は「日本は宇宙から見てもきれいです」「私結婚します」。 

(おわり)

■英文モールス信号アルファベット(参考)

A ・―   B ―・・・   C −・−・   D −・・   E   F ・・−・
G ― ―・   H ・・・・   I ・・   J ・― ― ―   K ―・―   L ・―・・
M ― ―   N ―・   O ― ― ―   P ・― ―・   Q ― ―・―   R ・−・
S ・・・   T   U ・・―   V ・・・―   W ・― ―   X ―・・―
Y ―・― ―   Z ― ―・・  

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